1975年ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。3年目オフの1978年に開催された日米野球第1戦のシンシナティ・レッズ対巨人戦で、高田に代わって途中出場してマリオ・ソトから2点本塁打を放ったのをきっかけに、1979年に一軍に定着。1981年、.322、HR16本、66打点でチームの日本一に貢献。不調時も「絶好調!」と笑顔を見せる明るいキャラクターがファンの人気を博す。
1989年限りで現役引退後は、巨人打撃コーチ、横浜DeNA監督を歴任。今季からラジオ日本野球解説者に復帰。